鉄炮鍛冶屋敷(町家歴史館 井上関右衛門家住宅)

鉄炮鍛冶屋敷
鉄炮鍛冶屋敷

鉄炮鍛冶屋敷

「鉄炮鍛冶屋敷」の名で知られている、江戸時代から続く堺の鉄炮鍛冶井上関右衛門の居宅と作業場兼店舗で、元禄2年(1689年)『堺大絵図』にも同地で記載がみられます。全国でも唯一のこる江戸時代の鉄炮鍛冶の作業場兼住居として堺市の有形文化財に指定されています。

敷地は、東側の「中浜筋」から西側の「浜六間筋」までを一区画とする広大なものです。敷地内には、主屋に隣接して座敷棟、敷地西側に道具蔵、俵倉、附属棟等が建ち並び、江戸時代の鉄炮鍛冶の屋敷構えをよく伝えています。

井上関右衛門家に伝わる資料は、古文書などの文献資料や鍛冶道具・什器などその他の資料から成ります。そのうち、文献資料は木箱や長持に入った状態で道具蔵・俵倉と主屋の2階を中心に見つかり、江戸時代から昭和初期までの約270年間に作成された約2万点にのぼります。

鉄炮鍛冶屋敷では井上家に残る実物資料のうち一部の展示や、「みせの間」や「鍛冶場」などの再現展示、鍛冶コンテンツなどを通じて「本物のものづくり空間」を体験することができます。

井上家について

調査で見つかった古文書から、井上家の祖先は戦国時代末期から加藤家に仕え、慶長15年(1610)に加藤貞泰が米子に移封されたころ、兄弟のうち兄はそのまま加藤家に仕え、炮術家の弟が堺に来て鉄炮鍛冶になったとされています。

堺に移ってからも代々の井上家は、加藤家から武士としての給与である扶持米をたまわり、仏壇には、2代藩主泰興以降の加藤家歴代藩主の位牌を祀るなど、大洲藩主との深い絆は続きました。
明治以降は、鉄炮の製造・販売のほかにも、弾薬・火薬類の販売や小物金属製品の製造、醤油製造なども手がけるようになりました。

鉄炮鍛冶屋敷 火事羽織

火事羽織(井上家資料・個人蔵)

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アクセス

〒590-0928 大阪府堺市堺区北旅籠町西1丁3-22


阪堺電気軌道阪堺線「高須神社」停留場より西へ300メートル
南海本線「七道(しちどう)」駅より東へ300メートル
南海バス「堺東駅前」から、16 系統・17 系統(北循環線)「堺駅西口」行きもしくは61系統(堺東住之江線)「住之江公園駅前」行きで、「綾の町電停前」停留所より北へ350メートル
※「山口家住宅」との間の距離は約620メートルです。

※駐車場はありませんので公共交通機関をご利用ください。なお、障害者用駐車場があります。