堺市立町家歴史館 清学院の展示替えを行いました!
堺市立町家歴史館 清学院では、令和6年3月のリニューアルオープン以来、河口慧海のご子孫の方から寄託された河口慧海関係資料の展示を行っています。
河口慧海は、現在の堺区北旅籠町西3丁で生まれ、仏典の探求、収集及び将来を志して、日本人として初めてヒマラヤ山脈を越え、厳重な鎖国下にあったチベットの都ラサに入った人物です。そのインド・ネパール・チベット旅行は『西蔵旅行記』として刊行され、現在も登山家を中心に多くのファンを魅了しています。
清学院は幕末から明治維新期にかけて、清学堂という寺子屋を営んでおり、河口慧海も一時期学んでいました。正に、河口慧海ゆかりの地と言えるのです。
2025年8月27日(水)からは以下の2点の資料を展示しています。
①中村不折筆/扁額「雪山」(1916年以降、個人蔵)
夏目漱石『吾輩は猫である』の挿絵画家としても知られる中村不折(1866-1943)の筆になる木製の扁額です。「雪山」(せっせん/せつざん)とはヒマラヤの意味です。インド・ネパール・チベット旅行後の慧海は、自らを雪山道人と号しました。この扁額は、雪山精舎と称した自らの道場兼居宅にかけられていたものです。
②合作絵画帳(1931年、個人蔵)
慧海と親交のあった、画家の松林桂月(1876-1963)と妻の松林雪貞(1880-1970)、勝田蕉琴(1879-1963)、中村不折の4名が絵を描いています。松林夫妻は草木の絵を、中村不折は悟りを得た後の釈迦の姿を、勝田蕉琴は釈迦が座禅を組んでいる姿を描いています。
是非、慧海ゆかりの実物資料を見に、清学院をご訪問ください。